自分軸は「ある」と「ない」なのかな?

先日、
クライアントさんとのスカイプで、

『自分軸がある・ない』

という話が出てきました。



僕は昔は

自分に自信がなくて、
人の顔色を伺って、

行動をしているような気がしていたからか、


「自分軸がない」と


自分を責めるような
気持ちを持っていたのですが、


いまは、
そんなことは感じなくなっています。



過去の僕と 今の僕で、

【自分軸】に対しての考え方が

変わって、


いまは【ある・ない】の2択ではないなぁ。


と思っているんです。




僕の考え方の変化が、

過去の僕のように、

「自分に自信がなくて自分軸がない。」

そんな風に思われる方の
お役に立つといいなぁと思いながら、

メールを書いています。^ ^



===余談です。===

心屋仁之助さんのブログで、

「自分軸」という言葉を
生み出した方を紹介されていました。
 ↓
コチラの記事です。

===余談でした。===



自分軸なんですが、


文字から雰囲気は伝わるのですが、
どういう意味なのか、

定義が人によって曖昧な気がしています。



それなので僕は、


「自分軸がない」状態は、
自分の考えで自分の行動を決めていない

「自分軸がある」状態は、
自分の考えで自分の行動を決めている


こういう意味だろうと定めました。


(この定義の時点で間違いがあったら、
 すみません~。)



で、


過去の僕は なんとなくですが、
「自分軸がない」と自分を思っていたので、


生活のなかで、仕事のなかで、
人間関係のなかで、

何をするにしても自分で考えていない。


自分の考えで自分の行動を決めていない。


と、自分のことを

漠然と感じていたんだと思います。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄




この、

自分の考えで自分の行動を決めていない。
という言葉に、


大きな落とし穴があると
僕は思いました。




なぜかというと、



例えば、

玄関を出るときに靴を履く。

この動作をするときに、
左右のどちらかから 靴を履きます。



信号がそろそろ変わりそうな
雰囲気のときは、

場合によっては走って渡るし、
または、無理をしないで立ち止まります。



こういう何気ない動作は、


無意識で行うことがありますが、


靴を履くのを、
右からなのか 左からなのか、


信号の手前で、
速度を変えるのも、


無意識でも自分で決めています。





自分軸って、
そういう小さい行動のことじゃなくて、

人の意見・様子・雰囲気などから、
自分で行動を決められない

ってことじゃないの?

と思われたら、



靴や信号機と同じで、



無意識のうちに、
人の意見・様子・雰囲気から、

自分の行動を制限しようと

自分で決めていることになります。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄




それなので、

「自分軸がない」状態が、
『自分の考えで自分の行動を決めていない』

ことだとしたら、


そんなことはなくて、


自分で考えて行動しているけど、


そのことを
意識してないんだと僕は思います。




ちょっと、まどろっこしい
お伝えになりましたが、


自分軸は

「ある」「ない」じゃなくて、

自分軸を「意識している」か「していない」
なんだと考えました。


なので、


【 誰でも自分軸はある 】


っとも、僕は思っています。






PS.
億万長者さんは僕に、

自分が意識できる部分を
徐々に増やすことが大切と

教えてくれました。



無意識で動いていると、
自分で決めている感覚がなく、

流されていると僕は感じていました。


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